ニートが学ぶプログラミング

ニートの日記。プログラムのことやら、くだらないこと、思ったことをまとめていきます。頑張って毎日更新するぞぉ_(:3」∠)_ 更新が連続して途切れたら察してください。

言葉にする勇気が足りずできた心の壁

 誰だって思い出したくない過去の一つや二つあるものだ。私なんて数えることができないくらいある。幼稚園児の時漏らしたり、小学生の時に喧嘩した友達の好きだったおもちゃを壊したこともある。中学生の時いじめられて、学校に向かったはいいものの、通学途中でUターンし家に帰ったこともある。書ききれないが、もっともっと思い出したくないこともある。今日は人から見れば大したものでもないけれどなかなか解決できないことを紹介したいと思う。

 今日親から、「おばあちゃんから野菜届くから宅配便受け取ってね」と言われた。なんてことはない話だが、私の脳裏にある祖母の顔が映し出された。

 その眼はどんな眼をしていただろうか?今思い出しても言葉にすることは難しい。軽蔑した眼、落胆した眼、困惑した眼、ごみを見るような眼。とにかく黒かったことは覚えている。ただただ黒かった。

 私は祖母や祖父の話が出るたびにその眼を思い出す。フラッシュバック現象というのだろうか。私は詳しくないのでフラッシュバック(仮)としておこう。そしてその眼を思い出すとき、動機が激しくなり考えるのを辞めるのだ。

 親からは祖父祖母の家に行かないかとよく言われる。

 私の答えはいつもNOだ。

 もちろん祖父祖母のことは嫌いではない。ニートの私のことを受け入れてくれると言ってくれた素晴らしい方々だ。私の方がクズなのはわかっている。でも、

 その眼が怖いのだ。

いじめられたものにとって談笑は嘲笑に聞こえることもある

 小学生の休みの間、祖母の家に遊びに行ったことがある。そこで叔父に連れられて市民プールに遊びに行った。男子更衣室に入ると、小学生の女子が親に連れられて着替えをしていた。私は驚いた。「だって、小学校でプールの授業で別々に着替えてるのに、何でいるの?」と。

 プールで遊び、祖母の家での食事中に叔父が嬉しそうに話し出す。

「今日プールで女の子が着替えてて、○○がドキドキしてたんだ。そんな年ごろかー」

 すると、その場にいた私以外みんな笑いだす。

 まあ、今になって見れば甥の成長を実感して嬉しかったのかもしれない。正直笑うのをやめてほしかった。でもそんな勇気はなかった。

 その眼が怖いのだ。

心の壁

 中学生の頃にも、祖父の家に遊びに行った。プールのことなど忘れ、少しワクワクしていたことも覚えている。いじめられていた私にとって、昔に帰れるような気がしたからだ。

 みんな年を取り、小学生の頃のように遊ぶこともできず、どうしようかと思っていた。すると、祖母が

「勉強しなくていいの?」

 と聞いてきた。私は

「宿題も大体終わった私大丈夫。勉強も今日やる分は終わったよ。」

 と進○ゼミの冊子を見せる。すると祖母は「そう・・・」という返事をした。その眼をしながら

 私には理解ができなかった。祖母は何が...?祖母は何を...?勉強が足りないということ…?

 私はもう遊ぶ年齢じゃないのだと、昔に戻ることは許されないんだと思った。学校でも居場所がなく、祖母の家でも居場所がないのだと思うしかない。自分がいじめられてたことを話す勇気のない私にはそう思い込むほかなかった。

 今思うと祖母には全く悪気はなかったのだと思う。思いたい。でも、心が納得しない。

 

 その眼が怖いのだ。